日刊工業新聞(不撓不屈)掲載:大和鋼機① ~スピードと正確さ~
2016年8月5日
【試験片加工で苦境を脱出】
短納期で正確な加工-
これが鍛造・特殊鋼向け金属材料試験片の加工を専門に手がける大和鋼機の信念だ。4代目社長の松本大(ひろし)は「試験片は製品を作る前に材料の品質を保証するもの。短納期でも精度よく正確に加工しなければ」と真剣だ。
マグネット研磨
材料試験片は形状が決まっており、各種材料を引っ張るなどしてその郷土や性質を確かめるのに使う。同社では特殊鋼などを特定の形状に加工している。試験片一筋に50年以上。モノづくりの姿勢は変わらない。
1946年(昭21)に松本の祖父、松本福三郎が旧日本特殊鋼から独立し、特殊鋼および各種機械を販売する松本商会を東京・大田区で設立した。顧客は群馬県館林市の実家近辺にある各工場。福三郎の二男で現会長の治は「近くに旧中島飛行機があったため、売れ行きは好調だと聞いている」という。
「マグねえっとの研磨加工をやってみないか」。この一言が福三郎の運命を大きく変える。古巣である日本特殊鋼からラジオなど音響機器内で使うマグネットを研磨してほしいと依頼されたのだ。工場と機械を取得し、52年に大和鋼機を設立。60年には試験片加工を開始し、第2工場を建設した。
短納期が功奏
ところがわずか4年で暗雲が立ちこめる。仕事のほぼ100%を占めていた日本特殊鋼が倒産したのだ。同時にマグネット研磨の仕事をすべて失った。一部、鍛造企業向けの試験片加工を残して、ほとんどの仕事を失った福三郎と、62年に入社した福三郎の長男の松本勝博は途方に暮れた。
しかしすぐに状況が一変する。日本特殊鋼の下請け企業が集まった任意団体からの紹介で、次々と仕事が舞い込んできた。
「ここから不思議と仕事がつながるようになった。真に”白馬の騎士”だった」と治。折しも時代は高度経済成長期。盛り上がりをみせる製造業に同社の短納期対応がマッチした。こうして大和鋼機は「金属材料試験片加工専門工場」として再スタートを切った。
経営方針変えず
仕事が回復の兆しをみせる一方、社内では”戦い”が始まった。営業出身の福三郎と、技術者として腕をみがく長男の勝博が衝突した。治は「短納期に対応すべく父は無理を言い、兄は反発する。かなりやりあっていた」と振り返る。
父の方針に歯向かった勝博だったが、92年に社長に就任した際、経営方針を大きく変えることはなかった。治は「兄も品質、正確さ、スピードという当社の強みを守った。結局これが50年以上続く当社の大切な伝統となった」と語る。
創業者であり父の福三郎からバトンを受け継いだ兄弟は、バブル景気という激動の時代へと突入していく。
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